昭和30年に祖父の大規模な葬列があった

故郷のお寺の墓地
故郷のお寺の墓地

東京に戻ってきました。

やはり事務所のMacはいい。というか、Ipad を携帯パソコンのように思っていたのがいけなかったのです。思うように書けなかったり、いつも簡単にできる作業ができなかったりで、イライラしました。

昨日のお墓まいりはもう少し詳しく書くつもりだったのですが、そういうわけで頓挫してしまったので、今日はその続きを少々…。


群馬県の草津温泉などに行く途中にある町のお寺の墓地に田島家のお墓があります。坂になっている一番上の見晴らしのいいところです。

祖父は昭和30年に亡くなり、その墓地に土葬されました。

 

私はまだ生まれてなかったので知りませんが、祖父は、「“赤ひげ”のような医者だったので、みんなに慕われていた」(家族談)そうです。

まあ家族がいうことですから…。でも、お葬式の写真をみると“そうかもしれないと思えましたよ。

 

葬列です。とにかくすごい人数が歩いているのです。町のメインストリートと思えるようなところをぞろぞろと、そしてお墓まで。遺体をのせていると思われる輿を担いでいる人もいました。花環を持って歩いている人もずいぶんいました。

 

小さな田舎町ですから、町中の人が歩いているのではないかと思うくらいの人です。母に聞くと、お葬式はなんだかんだ1週間くらい続き、疲れ果てたそうです。

 

昭和30年、都市部では大規模な葬列はなかったでしょうね。

 

祖父は俳句もやっていて、辞世の句なのか、末期の句なのか

「涼風やバトン渡して一休み」という句が墓石に刻んであります。


今頃、お葬式の写真に驚いている孫がいるとは、じいさんも草葉の陰でビックリでしょう。

2010.9.19




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コメント: 3
  • #1

    ケイケイ (月曜日, 20 9月 2010 02:54)

    土葬に大規模葬列。興味深いお話でした。
    おじいさまは、赤ひげ先生で、人徳があって、多くの方に慕われたのでしょうね。
    実は私の祖父も同時期に亡くなっていますが(因みに私は生まれていました)、火葬で、葬列もありませんでした。福岡県の久留米市でしたから、小さいけど都市部といえるでしょう。でも、八女郡にいた曾祖父の世代までは土葬だったようです。

  • #2

    エリコ (月曜日, 20 9月 2010 12:22)

    故郷の葬儀について、調べてみるとおもしろいかもしれません。
    祖父の葬儀の写真は、次回、複写しようと思っています。そうしたらブログにもアップしますね。

  • #3

    せつな (月曜日, 20 9月 2010 21:34)

    映画でしか見たことがありませんが、葬列の風景はいいですね。葬送の原点なのではないでしょうか。
    これぞ「みんなのお葬式」です!

    そういえば前にベトナムで葬列を見ました。舟形の柩のあとに人がぞろぞろ泣きながらついて歩いていました。見とれていてバスに乗り遅れました。