「ブログ伝道」 過去伝道

 

 

真福寺 田中禅价住職「ブログ伝道」の過去伝道です。

 

 

「子に教えざるは父の過ち、 
    学のならざるは子の罪」

 

 

金木犀が10月の清澄の青空に芳香を散華したと思ったら、もう寒気、秋が足早に過ぎ去って雪のたよりがあちこち聞こえる季節になりました。

 

4月関東甲信地方が雪、アイスランドの火山大爆発、夏の長期の酷暑、作物被害が発生。普天間・口蹄疫・尖閣諸島・円高80円がありました。食料、経済、外交、親子殺害色々なことがある不景気と世相不安の今の世です。

 

この時代を生き抜くためには粘り強く生きる方程式が必要だ。その方程式の一つ、以下が忘れられているのです。気付いてよ。

  

「 子 に 教 え ざ る は 父 の 過 ち 、 

    学 の な ら ざ る は 子 の 罪   」 

 

子に教育を与えなければ、その子は愚かなままだ。これは父の罪である。父が教えたにもかかわらず、その子が不精で学問が成就しないのは子の罪である。このことが実践できないのである。あたりまえのこと。今そのあたりまえが通用しない。

 

自己を磨く、行を見習っていくと、いつしかほんとうの心に育っていくものである。若いとき学ぶ事を真剣にしない子はいつか歳老いて輝きを失っていくのである。

 

親が子に知恵をあたえ、知恵という根っこが育った子は知識を学んで大きな人材に育ちます。

知恵を学ぶことは大切です。知恵は母なる大地です。知識は現実を生きていく栄養です。知恵を磨き知識を生かして世の中を生きていくとき、縁あって出会う人に少しでも喜んでもらえる接し方をしたいと願う心が生まれる。そして、人さまの幸せな顔を見て喜ぶ人間になる。この徳を磨くことは繁栄の基礎つくりです。

 

徳のある知恵を身につけて知識を磨くとき、良き縁がうまれる。良縁はすばらしい絆を創造する。そのために若き日の苦労は大切です。

人間を磨きます。苦労して努力すること自体が好きになる心になることが大切です。

 

今の時代だからこそ自分磨きが大切です。そのために古典を学び先人の声を聞いて現在の苦境を生き抜く方程式を見いだす事です。

 

平成22年11月 265号)

 

 

 

「宇宙無双日 乾坤祇一人」

 

 

「劫初より造り営む殿堂に、われも黄金の釘一つ打つ」と与謝野晶子はいった。

 

この宇宙は、過去が過ぎ去り今日という今しか存在せず未来という不確実な世界に向かって経過している世界ということになる。その宇宙に我一人ここにいる。大地いっぱいに生きている自分に感動する。そんな壮大な句詩を与謝野晶子は書いたのだ。尽大地いっぱいに満ち満ちている感動を体感する喜びを自分の体全体に受け止めるのです。

 

今を大切に生きる事が大事です。画匠故平櫛田中翁は107歳でなくなりました。師は100歳過ぎても制作意欲を失わず「我がやらずに、誰がする。今やらないで、何時できる。」と言って日々を過ごしていそうです。

 

道元禅師は福井の永平寺に入る前、京都の建仁寺で学び中国に渡り修業された。中国で学んだ真理の一つに「眼横鼻直」の言葉をのこされた。あたりまえの中に深い真実があることをさとしています。

 

私はいま、感ずるところがあり、「山は山・川は川・人は人・我は我」ということにおもいあたりました。

このしごく当たり前のことを気付いたことに感動しています。

 

人間しょせん、行動し気づき素直に受け止めて受け入れることではじめて自己本来の原点にたどり着くのではないかと思う。

 

私は今生きている。そしていつかこの世界から消えていく。

この現実は誰も差し替えることのできない現実です。平櫛師の言葉、「我がやらずに、誰がする。今やらないで、何時できる。」、与謝野晶子女氏の「劫初より造り営む殿堂に、われも黄金の釘一つ打つ」、道元禅師の「眼横鼻直」は行・体・真実を伝えています。

 

無欲に坦坦と生ききることがなんと幸せな本来の姿か、それをしっかり気付けよといっている。あたりまえの今を生きる事が大事で、山は山でしかなく、川は川でしかなく、私は私でしかない。只一つ真似る事のできない本来の面目がスーとあるだけ。宇宙に同じ日はなく、大地にわれ一人です。

 

(平成2210月  264号)


 

 

暫時不在 如同死人」 白隠書性

 

 

「すこしでも油断があり、修業する心が途切れたらならば、それは死人と同じである。」という意味です。

 

努力研鑽することはひとえに“真理は一つを納得することにある。

真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は争うことがない。

「真理は一つ」「ありのまま“今”を見る」ということが大切である。過去未来にとらわれず「今」をありのまま見ることが大切である。

 

何事もそのときその時で選ぶべき道は沢山はないのである。

冷静かつ客観的に見るとほとんどの場合、選択肢は一つに限られていくものである。

 

経済は収入・支出の帳尻あわせである。収入は家計の基本。支出はその収入の範囲内で支出する事が平和な経済活動といえる。その当たり前の単純な真理が国レベル、世界レベルになると見えなくなる不思議なワンダーランドにまぎれこんでしまうのである。

 

東大出のエリート白川日銀総裁は民主党の肝入れで自民党時代に就任した。その彼は決断すべきときに決断しないうちに8月25日に1ドル83円台の日本経済の危機的状況を将来している。

平和の時に乱を忘れずという言葉がある。平和ぼけしているうちに他国に軒を貸して母屋をとられる時代が来ているかもしれないのです。

 

経済破綻は政治破綻をうみます。決断できない時代はいつでも国民の不利益につながります。人材が枯渇し組織が硬直化し判断できない優柔不断の時代になります。

 

生きる選択肢は只一つです。「ありのまま“今”を見る」ということです。政治思想経済体制の如何による偏見の色眼鏡をすてて「ありのまま“今”を見る」訓練が大切です。

 

「少しでも油断したとき、そのまま死人に同じ」ということになる。いまここに生きている「ありのままの“今”」をしっかり見つめる事で「真理は一つ」を体感できるのです。

 

平成22年9月 263号)


 

 

ヨーロッパの女性

 

 

お盆の季節です。今年は季節変化が雨期乾期のように変化の激しい夏が到来しました。

 

この文章は5年前のものです。

『女の運命を動かす100の方法』(三笠書房)の内容は、若いとき苦労して磨くことが大切というものです。ヨーロッパの女性たちは若いときの苦労「若いときに出会うさまざまな苦悩」を神様からいただいた素敵な宝石、いつか自分を輝かせてくれるはず、と言っています。

若い時代に出会うさまざまな苦労・苦悩という経験が、女性を磨く財産として語られています。

 

平成227月、子どもを洗濯機に入れて殺害したり、親が1歳の子どもを木箱に入れて窒息死させたり、食事を与えず虐待し木刀で殴る父親の記事が目につきました。こんな親が生まれる日本という国のような風景は、ヨーロッパの女性からは生まれないと思いました。日本でも、昔はよく言ったものです。「苦労は買ってでもしなさい」。中国では「大樹の影で休むためには、苗を若い時植えねば休めない」と語っています。洋の東西変わらない真実で、本質は不易流行ということです。

 

誰しも万人が経験することであるが、人間が成長するために青年期に体験する「恋人との別れ、転職、大切な友人との意見の相違、不慮の事故、自分ではどうにもならない不幸の死別」があります。若い時に出会うこうしたさまざまな苦痛、苦悩、苦労を肥やしとして生きることが大切です。そのさまざまな苦痛、苦悩、苦労が自己を磨き輝き光らせてくれる宝石とたとえています。

 

フランス人の男性は「大人の女性の奥深い会話の魅力は、若い女性の屈託のない魅力とは比べものにならない」と言っています。大人の女性の奥深い魅力の陰には、若い頃のたくさんの人生経験や苦悩を積極的に体験し生き抜いてきた英知がネガティブにあるのです。今のその苦しみから逃げずにまっすぐ受け止めて、自分を磨く力となるのです。自分の生命エネルギーを自分で汚してはいけないのです。自己研鑽が将来に恵みを生みます。

 

(平成228月 262号)

 

 

 

終始一貫した親の姿勢から

子どもは生き方を学んでいく

 

 

「親の背中を見て、子は育つ」と言われます。子どもより一歩先を歩む親。その生きる姿勢を後ろからじっと見つめる子ども。

そんな情景が浮かびます。子どもに顔を向けて発する言葉より、一生懸命に前進していこうとする後ろ姿の中に、はるかに大きな影響力が秘められていることを教えています。たとえば、子どもに「嘘をつくな」「人に優しく」「自分に厳しく」と言いながら親の生き方がいい加減で、かけ離れた行動をとれば言葉はむなしくなります。親の後ろ姿から学ぶのが子どもです。親から学ぶ子どもの姿は一生の生き方の姿になります。よき親のものまねを子どもに伝承することが子孫繁栄の基本です。

 

平成226月、山口県と横浜市で高校生の校内刺傷事件が発生しました。知識偏重で、生きる知恵を家庭で学ばず高学年になった頃に発現する現象が今回の事件だと思います。親の子どもに対する躾の欠落した要求ぐせだけを学んだ子どもたちが増えています。

そうした生き方を唯々諾々(いいだくだく)と受け入れていた子どもたちは当然ながら社会生活の乖離(かいり)が起こる時がきます。中学生頃からです。

彼らは自由気ままな義務教育の小中学校生活が消え、わがままが通用せず、先生が生徒に気をつかわない毎日の高校生活がストレスの爆発となるときがきます。それがこの事件なのです。

 

4月入学しストレス限界が56月に到来します。つまり今の時期に起こるのがあたりまえで、本来は3歳以前に家庭で社会生活に必要な躾を学習させていれば起こらない事件なのです。

 

家庭崩壊は親の姿勢から始まります。家庭内暴力はこれからもっと増えるはずです。なぜなら、子どもが家庭で親からわがまま勝手をゆるされ、躾られたり挙骨をもらうことなく、わがまま勝手の優しさだけ学んだ子どもが大人になって社会人になり、結婚するのですから。

 

中国の一人っ子政策で成長した成人の離婚率が高いことが新聞に載りました。人間一人で生きられない動物であることを、夫婦で助け合って子育てする動物であることを知るべきです。家庭教育の欠落が一因です。

 

(平成227月 261号)


 

 

寺に学び。 寺を楽しむ 

 

 

昨年暮れ、野村監督が「野球に学び、野球を楽しむ」と語った。私はこの言葉に感動した。

自分は僧侶である。私は、「寺に学び。寺を楽しむ」ことだと思った。

「今 ここに」を生きる。自分に与えられた一回だけ上演される人生舞台は寺に生きることだと改めて意識した。

 

“風流ならざる処、また風流”という心境になるために今ここに生きることを大切にしたい。しなければなにも生まれず、人生の根無し草になると思う。言い替えれば「生命に学び、生命を楽しむ。」「仕事に学び、仕事を楽しむ。」「人生に学び、人生を楽しむ。」「絆に学び、絆を楽しむ。」「縁に学び、縁を楽しむ。」ということである。私の、学び楽しむ場所は「寺」ということになる。

 

私が真福寺に入山したのは昭和48年4月。当時48万円の借金があり、本堂が明治24年消失し庫裡が仮本堂だった。設備はほとんど老化していた。トイレはポットン便所、雨が降れば雨漏り、ムササビ、ヘビ、ムカデ、鼠、イエダニ、等々が住み、人間以外の小動物の棲みかだった。

 

しかし、秋山の空は綺麗でした。上野原駅から寺までの道路は無舗装。50ccの単車で駅へそれから大学にかよう毎日。その間に真福寺の運営にあたった。

当時から、警備員、横浜林光寺様の手伝い、京都慈眼寺様の手伝い、東京龍雲寺様の手伝い、考古学遺跡調査の手伝い、5市町村の教育委員会の手伝いをして生活をする日々だった。貧乏にことかかない毎日の寺院生活。その当時を振り返ってみるに、苦労している思いがないことだった。苦しい毎日に悲壮感もなく、むしろ楽しかったのです。

 

私の真福寺における40年間は本堂再建・ヘソのお地蔵建立・やすらぎ観音建立・やすらぎ霊園開設ほか寺院建設をする日々だった。それが私の「寺に学び。寺を楽しむ」ことだと思った。

(平成22年1月  255号)

 

 

 

治にして乱を忘れず 

 

 

治にして乱を忘れず--中国の古典。

平成22417日、関東甲信地方が雪だった。茶はだめに、野菜冷被害、桃、秋の柿等の作物不足を生む可能性がある。

 

平成22414日、アイルランドの氷河の火山が大爆発した。噴火による火山灰はヨーロッパ全域に広がった。今回の火山灰は上空15キロに達していることがわかった。上空1050キロ成層圏まで火山灰が届いていることになる。火山ガスで太陽光が遮断され気候が寒冷化する「火山の冬」になる可能性がある。

 

江戸時代(1780年代)、天明の大飢饉の原因に浅間山の大噴火があり、1783年「ラキ噴火」が影響したといわれている。「ラキ噴火」では北半球の冬の平均気温が2度下がったといわれ、各地に農産物の不作をもたらした。浅間山噴火の火山灰は一瞬で嬬恋周辺の村を飲み込む事件で、日本のポンペイといわれている。世界的火山活動が日本の天候不順を生み、大飢饉が発生した。

例は世界史を紐解けば枚挙に事欠かない。ただ気が付かないだけ。

 

60年前に戦後の闇米の頃の食糧難があり、戦前は米が不足する農業生産力は低い日本で、大正時代には米騒動があった。1830年代には天保の百姓一揆。日本の各地で食糧難からくる騒動があった。

いま若者たちはコンビニであたりまえに弁当を買う生活になれている。その食料は外国から輸入されている。中国は以前は農産物の輸出国だった。いまは輸入国だ。今回の欧州の大噴火が農作物に影響し、各国の食料不足がこの秋以降おこると、食料争奪がはじまる。その時、自給率40%の日本は瞬時にして食糧不足の騒動になる。

 

現在の民主党の前身の日本新党細川政権当時、寒冷のために米不足で各国に米買いに走った。喉元すぎて食料が足りたら各国からの援助を打ち切り、泣きつき買ったタイ米はまずいと言って批判した日本でした。今回外国は食料を分けてくれるのか心配。平和のいま騒乱ならない方策を考えねば。

 

TBSの鳥越さんが、普天間移設問題で日本にアメリカ軍はいらないと国民がいっているから縁を切ればいいといった。しかし、食料難の時、助けてくれといって助けてもらえるかと思った。

 

(平成226月 260号)

 

 

 

近道は敵

 

 

「近道は敵」とロックの永ちゃんが語った。どんな世界でも努力と研鑽が大事である。歌の世界で生きる彼の言葉は重いものがある。楽して儲けたものは泡となる。苦労して身につけたものは生涯の身を立てる宝となる。


意識をもって見るか漫然と見過ごすかによって、長い間にはかなりの差が出る。「観光」という言葉がある。これは観国光という中国の故事からきている。国家の繁栄の光を観察する慧眼を養うことが大事という意味に私は解釈している。
観光旅行というのは漫然と旅行することを言っていない。観察・情報収集・分析・結論・行動という方程式があって実学となる。意識して観察することで気付くことがある。


本人が真剣にその気にならないところからは本物は生まれないのである。成功の秘訣は遠い遠い気の遠くなるような道を歩いて初めて気付くと思う。
「近道は敵」という言葉は苦労をいとわず、努力と闊達な研鑽と辛抱を積み重ねることが大事ということだと思った。


古今東西、史上に名を残した英雄や偉人を見ると、みんな大きな志や目標を掲げて自分で自分を厳しく鍛え努力している。勝海舟は「能力主義」を推奨している。
自分を育てるのは自分しかいない。自分で心から納得して気付くとき他人に言われなくても行動が生まれるのである。


フグの料理法を知っている者にとって、ふぐの大漁はありがたい。が、料理法を知らない者にとっては何にもならない。チャンスは迎える人によって異なるのである。本質を見抜く慧眼を磨くことだ。


昭和21年1月、ソニー創業者の井深大は会社設立の目的を起章した。それは「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」という一文にはじまっている。敗戦の残骸の東京の片隅で、自由闊達にして愉快なる理想工場の建設という夢と目標を高らかに掲げた青春時代があったのである。少年よ大志を抱けのごとく。彼らは夢の目標実現のため膨大な時間をかけて実践し、世界のソニーになったのである。

 

(平成22年5月 259号)

 

   

父母未生以前

 

 

父母が生まれる以前のあなたはどこにいるのですか、という禅問答があります。


サイバネティクス理論(自動制御理論)の創出者ウィーナーは「受胎以前の無から死の無に至る航海の筋道のうちにこそ、人の一生において真に重要なすべてのことが横たわっている」といいました。彼は、この航海は大渦巻の中へ劇的に突っ込んでいくものでも、成功に次ぐ成功を重ねるものでもなく、途中で吹き戻されたり凪で漂ったりするものだ、といっています。洋の東西を越えて同じような設問が語られています。宗教・政治・教育文化の違う民族から同じような設問が時代も違うところで生まれているのです。設問の答えは東西で答案が合うも違うもどちらの答えも正解と考えます。


ところで、私は母を亡くして20年の月日を数えます。「はがき伝道」という作法で今日まで書き続けて258号になります。私はすべての他人と同一にはなれない、ことを知っています。しかし、他人とわかりあうことを切望する自分がここにいます。すべての文章が他人と理解しあえるとは思っていません。自分なりに気付いたことを書き綴り、受け取ったハガキから各人が何かを感じて参考にしてくれたら自分はそれでいいと考えて書いてきました。


父母の御縁がなければ私はここにいません。いなければ悟りも、うぬぼれも、どんくさい生き方もないのです。悟りを紐解くためだけに文章はないのです。悟らずともいまある悩みや感動を共有する絆があってもいいのではないかと私は考えています。古今東西いずれの人たちも生まれて死んでいきます。その人間たちが残した思考の軌跡を私なりの切り口で語ってきたのが「はがき伝道」という作法なのです。


父母が生まれる以前の私はどこに?という質問は竹林を春風が来たり過ぎ去っていく姿に似ています。
 私は悟れるような人間ではありません。間違っていようが合っていようが私が私の言葉で語る事が大切だと思って野蛮な勇気をもって張り倒される怖さをこらえて書きまくった20年でした。


ただ今私は未熟もの、翌檜(あすなろ)の心で勉強中。これからもよろしく。

 

(平成22年4月 258号)

 

 

 

 

 

真福寺 田中禅价住職「ブログ伝道」の最新伝道は、 > コチラ